-プロフィール-
不良になれず、優等生にもなれなかった 十代。
自分のことばかり考えていた 二十代。
別の自分に期待してのアメリカ生活 三十代前半。
コンピュータではなく、自分の手で なにか表現できればと考え・・・
そして土の道があった 三十代後半。
先祖の土地をあずかり、育った岡山の土をいただき、
その土でカタチづくりを少しずつ表現する喜びを感じている いま・・・
LESS is MORE
へらし そして ふやす
「思いがあれば、技術はあとからついてくる」
ありがたい言葉を念じながら、なにか少したりない
いいかげんな普通をめざしています。
「思いがあれば、技術はあとからついてくる」
ありがたい言葉を念じながら、なにか少したりないいいかげんな普通をめざいしています。
![](https://iriya-blue.com/wp-content/uploads/brizy/imgs/IMG_7029-scaled-555x832x0x139x555x555x1669689691.jpg)
由来
屋号「入屋」
うちには屋号があります。
300年ちょっとまえ、備前国の伊里の地から、ご先祖さまがこの地に入ってきました。
ぼくの祖父は、村長をやめたあと雑菓子屋「伊里屋」を昭和20年代後半のころ開きました。
出身地の名を屋号にしたんですね。
これが伊里屋のはじまりです。
明治から大事に使われてきた数十枚の諸蓋(もろぶた)があります。お祝い事のとき、お餅などを入れるのに使っていたものです。
諸蓋を何度か新調していて、はじめは「伊里屋」と書かれていましたが、いつの頃からか、「入屋」になっています。
家が水門の入口まえにあること。昔から人の出入りが頻繁であったこと。それらを喜んで先祖がきっと入屋に改名したのでしょう。
いまその諸蓋は窯道具として使っています。
![](https://iriya-blue.com/wp-content/uploads/brizy/imgs/IMG_7120-scaled-677x451x61x0x555x451x1669959405.jpg)
岡山県総社市生まれ
東京にてグラフィック・デザイナーとして修行
アメリカに留学
ニューヨークにてグラフィック・デザイナーとして修行
帰国 岡山にてフリーランスのグラフィック・デザイナーとして修行
山口 萩焼・坂窯にて修行
先祖の地 岡山市水門町に
築窯
自宅工房にて「はじめ展」
future